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それでもそこから

去年くらいから「プラ問題」に、自分なりに何かしら取り組まなくちゃいけないよな…と思ってはいたんです。原宿のクレヨンハウスに行った時、たまたまマイクロプラスチック問題の問題提議コーナーがあって、それを花種さんと一緒に見て、プラがお腹にたまって死んじゃったクジラや海鳥の写真に「かわいそう…」「かわいそうだね…でもこのゴミのはわたしたちが捨てたゴミなんだよ」「何かしなくちゃね」と話してて、それで何かって何よ。ということで、難しいから一旦置いといて…いたんですけど、置いておいてる場合じゃないのよ。なので最近お出かけする時にはマイボトルを持ち歩いている…。ペットボトルできるだけ買わないように…だけじゃなく使い捨て容器に入れてくれるカフェとかではマイボトルに入れてもらえるように…。(使い捨て蓋つき紙コップに見えて、洗って使えるマイボトル)正直「できること」の次元が低すぎて自分にがっかりはする。マイボトル、マイバッグとか10年くらい前から言われているようなことも出来ちゃいなかったんだよなー、とがっかりする。それでもそこからはじめていくしかないんだよね、と思う。そして自分が些細なことを取り組みだした途端、ひょーさんに「ペットボトル控えようよ!」とか家庭内プラポリス化しないように気をつけなくちゃ…すぐに自分正義!みたいになるのほんと気をつけなくちゃ…と気を引き締めて(?)いたところ「ぼくもボトル持ち歩こっかな〜」とか言っているから、やっぱり何も無意味なんてことはないね、と小さなことを積んでく意味をちょっと、感じたり。してます。はい。