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かなしみは

とある機会があって「今までで一番かなしかったことは?」と聞かれて、純粋に「かなしかった」と捉えていることって、ものすごーーーく遡らないと出てこないことに気がついた。自分にとって大きな出来事はいくつかあるけど、そこには後悔や葛藤が無茶苦茶にまとわりついてて「かなしかった」って表しちゃいけない気がする。
わたしの「かなしかった」といえることは8歳の時。生まれたての3匹の子猫をひろって必死に世話したけど数日の間に3匹とも死んでしまった。8歳の全ての力を傾けたのに叶わなかったことに泣きに泣いた。でも子猫を拾ったことも、育てようと頑張ったことも、もう一度再体験するとしても同じことをするだろうなあって思うから「かなしかった」と言えるのかも。そこにひとかけらの後悔も葛藤もないから思い出しても涙は出ないのよ。
「かなしかった」とは言えない出来事たちは。
避けれなかった、きっとわたしの人生に必要なことだった、と思ってはみるものの。もっと出来ることがあったとか、もう一度会えるならとか、残した思いがあるんだよなあって気付いた。残したものはいつまでも終わらせれないから、ふとぶり返しやってきては、ズルズル涙も出るのよ。でもきっと何一つ悔いのない人生を歩んでいる人なんていないのよね。後悔も葛藤も終わらせなくても越えなくてもいんだよね、きっと。それが未来をつくることでもあるんだよね、きっと。
「かなしみ」を問われてフトそんなことを考えたのです。