K_1029-36

わたしは本当に

ひょーさんが、仕事の下見も行きたいし、友人のアトリエも行きたいし、ということで急遽逗子方面へ。海見てごはん食べて、友人のアトリエで楽しい時間過ごして、温泉入って、なんかすごい良い日だった。

そんな良い日の行きと帰りの車の中で、ひょーさんとあいちトリエンナーレの話をした。正直、冷静ではいられませんのよ。表現の自由、不自由という大事なことを考える以前に、肩に鳥をのせて静かに座る少女の姿をヘイトだとかいう人の感覚が理解できませんのよ。お互いが利益を求める国と国で、政治的なぶつかりがある時もあるでしょうよ。慰安婦は国が主導してつれて来たわけではないんだ、民間業社の斡旋だったんだ、と信じたい人もいるんでしょうよ。

でも16とか17で、ちがう国に連れてこられて、とても辛い経験をさせられた女の子や女性たちが確かにいたということは、どんな人も否定できないでしょうよ。慰安婦として働かされた人たちがいたということは否定できないでしょうよ。そのひどいことに対して、国がどーとか言う気になんて、なれないんですよ。

何人だからとか関係なく、人として、その女の子や女性たちのことを思うと、苦しくならないのか。その苦しみに対して祈ることができないのか。なぜできないのか。

わたしは本当に、このことを考えると自分の良い日も台無しになるくらい、怒りとか悲しみでいっぱいになるんですよ。